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YOJI(ヨージ)は、ダンスミュージック・プロデューサー。神戸市出身。2007年までは YOJI BIOMEHANIKA(ヨージ・ビオメハニカ)という名で活動していた。以降はYOJIとしての活動であったが、2015より再度YOJI BIOMEHANIKAとしての活動を再開。「BIOMEHANIKA」とは生体力学(biomechanics)をロシア語訳したもの。後述するリリース作品の一部ではロシア語でクレジットされている。 == 来歴 == 1981年、高校一年生の頃にアンバランスレコードより「YORAN」をリリース。1982年同レーベルからシングルをリリースしていたYOU(現・CHARMY)の結成したLAUGHIN' NOSEにベーシストとして参加(1983年脱退)。1985年、NIGHT GALLERYより「LOVE BITTERNESS」をリリース(以上はYORAN名義での活動)。 1989年頃、兵庫にてCLUB GHOSTを開きDJ活動を始めた。90年代初期より大阪をホームグラウンドとしてクラブミュージックでの活動を行う。 1994年、ドイツ「DOS OR DIE」からのシングル「Rendezvous De Telepathy」発表、PAUL OAKENFOLD、ポール・ヴァン・ダイクを始めとするヨーロッパの実力派アーティストに高く評価された。これを契機に本格的にダンスミュージック・クリエイターとしての活動に特化、地場大阪で「OZAKA3000」、「ULTRAPUMPIN'(ウルトラパンピン)」などのダンスパーティーを主宰し、海外から最先端のDJ、アーティストを招聘・共演する。その後もアンダーグラウンドをベースとしながらキャリアを重ねた。 1998年、自身のレーベルとなる「HELLHOUSE recordings」を始動し、第一弾シングルとなる「GO MAD」をリリース。また同時期に新宿LIQUID ROOMにて、伝説のハードダンス・パーティ「VIVA」をスタートさせ、レジデンツDJとしてSHOKO-Fが出演していた。(2002年10月から「GIGA」へと名称を変更し、ageHaにて開催)。 2000年、本格的に海外へ進出。「DANCE VALLEY」、「STREET PARADE」、「SENSATION」、「CREAMFIELDS」といったUK、ヨーロッパのダンスフェスティバルからオファーを受け、出演を果たした。その後は、年平均20回以上に渡り日本とヨーロッパ間の往復を繰り返しており、日本をベースにしつつ、海外をメインに活動を行っている。 2007年、新たな音楽ジャンル「TECH DANCE(テックダンス)」を打ち出し、それを具現化したMIX CD「GIGA tech-dance extreme」を発表した。 2008年現在までに発表したオリジナル楽曲は約30曲(未発表を含む)、更に50曲以上に渡るリミックスから、MIX CDの制作にまで至る。多くのアーティストや業界人からマエストロ(マスター)と称されており、一時期は日本でも「ハニカー」と呼ばれる熱狂的なファンを生んだ。 2011年、コナミデジタルエンタテインメントが稼動しているアーケードゲームbeatmania IIDXの最新作「Lincle」にリミックスバージョンの「DON'T WAKE ME FROM THE DREAM(2010 Summer Edition)」が収録された。 2013年、以前にYORAN名義で参加していたLAUGHIN' NOSEの代表曲「GET THE GLORY」のYOJI REMIXを発表。 2015年、YOJI BIOMEHANIKAとしての活動を再開することを公式ブログにて発表。同時にavex traxと再契約、約11年ぶりのオリジナルアルバム「Chapter X」を発表。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「YOJI」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yoji (DJ) 」があります。 スポンサード リンク
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